Voices|鎌倉 光宏教授

日本には国民皆保険という素晴らしい制度がある

Profile

鎌倉 光宏(かまくら みつひろ)
慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授
【医療マネジメント専修】【公衆衛生プログラム】

1979年慶應義塾大学医学部卒業、1984年同大学院医学研究科卒業。慶應義塾大学医学部専任講師、看護医療学部助教授を経て、現職。医学部兼担教授(衛生学公衆衛生学および感染制御センター)、慶應義塾大学病院感染対策運営委員。医学博士。
専門は感染症学で、特にHIV/AIDSの国際疫学。その他、公衆衛生学、環境衛生学、国際保健学の講義も担当。

外科の臨床医から、感染症研究

医学部卒業後は、短期間臨床現場で外科医をしていました。多くの患者を診ている中で、予防的なことに取り組む方が医療の効率は良いのではと思うようになり、大学院に入り直してAIDSなどの感染症全般を研究するようになりました。結核、マラリアと並ぶ世界三大感染症のAIDSは完治する病ではありませんが、早期に治療を開始すれば平均余命は余り変わらなくなりました。しかし、1980~1990年代にかけてはAIDSは死の病で、当時は年に数回、 アフリカやアジア各地に足を運んでおりました。HIV(AIDSウイルス)は感染経路が限られているので必要以上に感染を恐れる必要はありませんが、結核と水痘(水ぼうそう)、麻疹(はしか)、レジオネラ症の4種の感染症は、遠くまで細かい飛沫に付いた病原体が飛ぶ(空気感染)ので予防が難しい点があります。

インフルエンザといっても様々な種類がある

インフルエンザは呼吸器を主体とするウイルス感染症の一つですが、冬期に流行するいわゆる季節性のインフルエンザの致命率は0.1%程度です。しかし1997年に香港で流行しアジアに拡がった鳥インフルエンザは、発病した人の60%以上が亡くなるほど致命率が高いものでした。歴史的にみると、これまで一つの災害で最も多くの人が亡くなったのは第二次大戦で、死亡者はおよそ6千万人です。次に亡くなった人の数が多いのが、1918年から1919年にかけて流行したスペイン風邪で、実態は当時の新型インフルエンザです。世界で4千万人くらいの方が亡くなっています。日本でも九州や中国地方などで鳥インフルエンザが発生すると、宇宙服のような防護服を身につけた人たちが夜を徹して、消毒剤とともに鳥の死骸を埋めています。それはこういった大きな負の歴史の経験があるからです。

感染症はオールオアナッシング

感染力の強さの指標は、例えば血液を介する感染症の場合、病院等での針刺し事故で、どのくらいの量の血液によって感染が成立するかで測ります。HIV(AIDSウイルス)よりも感染力が強いのが、B型肝炎やC型肝炎です。HIVが針刺し事故で感染する確率は、わずか0.2%から0.3%ぐらいと推定されています。しかし、感染症はオールオアナッシングなので、感染した人にとっては100%の出来事になります。HIVの針刺し事故に遭った人は、曝露状況や女性の場合の妊娠の可能性などを総合的に検討して、事故後2時間以内に感染予防薬を飲む必要があります。日本でも、AIDS患者報告数は年々増えていて、その主な原因は男性同性間の性的接触によるものです。

健康マネジメント研究科で教えていること

健康マネジメント研究科では、感染症学、国際保健などの公衆衛生に関する授業を担当しています。現在の日本では死因のトップが悪性新生物(がん)で、心臓病、肺炎、脳血管疾患と続きますが、発展途上国を含む国際保健となると感染症と母子保健に関わる疾患が死因の2大トップになります。子どもが小さいうちに亡くなる理由は様々ですが、一番の原因は栄養不足と感染症です。第二次大戦直後の日本もそのような状況でしたが、その後の高度経済成長期で国全体が豊かになり、国民の寿命は飛躍的に伸びました。

「病気をするなら日本」という言葉がある

日本には健康保険の国民皆保険の制度があって、すべての国民は何らかの健康保険に加入しています。先進国の中でもこの様なに素晴らしい保険制度がある国は他にはありません。そのため「病気をするなら日本」という言葉があるほどです。高額医療でも、後から費用のかなりの部分が戻ってきます。しかし、例えばHIVに感染すると高額の薬を一生飲み続けなければならず、生涯医療費は1億円に達するという試算もあります。ちなみに、最も医療費がかかると試算されている病気は血友病と手術を伴う心臓病です。心臓の手術は人工血管、人工弁、人工心肺等の使用や術後管理に費用がかかります。病気を総合的に見ると、予防に費用をかけた方が結果として支出が少なくなり、財政的にも好結果が得られるという報告が多数あります。

感染症の位置づけは、社会と共に変わっていく

歴史を振り返ってみると、感染症は社会と共にその位置づけが変わってきています。例えば、ハンセン病は人から人への感染力はほとんどないのに、外見上の問題や当時の社会背景から患者は強制的に隔離されていました。最近では、再び結核や脚気など栄養失調が関係する病気が増えてきています。結核はほとんどの場合投薬で完治するので、社会の捉え方が変わりましたが、1950年までは日本人の死因の第1位の疾患でした。

もともと微生物は、そのほとんどが人間には無害であり、味噌、醤油、お酒、ヨーグルト、納豆などの発酵食品は微生物の力を借りて作られています。私たち医師が研究の対象にしているのは病気の原因となる病原微生物ですが、すべての微生物の中で、人間や動物に害を与える存在は数%以下と推定されています。調べてみると今の初等・中等教育ではそういった基礎知識をあまり教えていないようです。感染症は、病原微生物と人間、または動物とのパワーバランスによるものとも考えられます。

日本が比較的少ない医療費で、これだけの長寿国になっていることは、目に触れられない部分も含め医療関係者の努力が大きいと思います。自分の健康を守るためには、一人ひとりが様々な疾病について正しい知識を持つ必要があります。私が教えているのは自分の健康を守るための手段であり、予防について世界の人々の能力の差を少なくしていくことを目標にしています。